初めて遅咲仁(おそざき じん)です。
このブログはタイトルでも書いてある通り
生涯現役を目指す寿司職人の日記みたいなブログです。
まぁ誰も興味ないと思うがまずは俺が寿司職人になった経緯が説明しようと思う。ちょっとながくなるけど付き合って。3分で読み終わるようにまとめておく。
時は2013年、高校卒業しておれは美容専門学校に入学した。
ん?美容専門学校??
と思ったあなた。
とりあえずしばらく読み進んで欲しい。
俺は美容専門学校に入学した。
この頃の俺は中学生の時から髪をいじるのが好きで将来はカリスマ美容師と決めていた。
しかし、入学して授業が進むにつれてカリスマ美容師になるという夢が薄れていった。理由は周りの美容への熱量に俺は負けた。
みんなすごい。
髪型だけじゃない。服装やアクセサリーにもこだわりがあっておまけに器用だ。
そんな周りの熱量に俺は負けた。
一年の時はほぼ休みで学校行ったけど2年目にはほとんど学校へは行かずにパチンコ屋に通ってた。
けどなんとか周りの先生や親に助けてもらい、卒業することができ、美容師国家資格を取得することができた。
けど卒業後の進路は未定のままだった。
卒業後は美容師になる気になれず、フリーター。
色々やった。
・パチンコ屋
・倉庫
・清掃
・飲食
・テレアポ
など。2015年に専門学校を卒業してからしばらくフリーター生活。
とりあえず、実家にはいずらいのでなんとなく東京で1人暮らし。
2017年。
同級生はほとんど大学を卒業して、就職。
おれはこの時思った。
『俺もそろそろ定職に就かなければ…』
とはいえ、美容師になるとは思えず他を考えた。
考え抜いた結果、飲食業界に正社員として働くことを決めた。
理由は『続いたから』
飲食以外の他のバイトは続くことができずにすぐに辞めていたが飲食は辞めずに続けることができた。
だから飲食。
けどまだ寿司職人になることなどこの時の俺は知らない。
早速就活開始。とりあえず3社受けた。
全部採用。
当たり前だ。万年人手不足。若いやつでとりあえず会話ができれば大体採用される
俺はその中から大手チェーン店の内定が決まった。海鮮居酒屋が強い会社。
給料、福利厚生が1番いいところに決めた。
2017年から2018年の1年間は主力業態の海鮮居酒屋で普通に正社員として働いた。
とある日、普通に働いてたら店長から話があるとバックヤードにお呼びがかかった。
話の内容は【異動】だった。
新店の寿司業態に異動の通達がきた。
とりあえず、断れないので承諾した。
これが俺の寿司職人の道へ進むきっかけだった。
異動初日、とりあえずまだ店はオープンしてないのでオープンまで雑用をやらされる。寿司職人としての異動ではないのでしばらくはホール業務がメインになる。
なんだかんだで、店はオープン。
大忙し。そこで最初の洗礼。
それは【寿司職人のクセの強さ】
例えば
・無視
・言葉使いが悪い
・職人同士の愚痴
などなど
言い表せないところもたくさんある。
とりあえず癖が強い。
それで心が折れて慣れないアルバイトは辞める人も続出した。
けど俺は辞めなかった。
てか、『面白い奴らだな』とまで感じた。
特になにかしたわけでもないが職人たちからは好かれた。
ホールをやりながら魚の仕込み、寿司の握り方、寿司屋の隠語を教わったりしながらメインのホール業務をやってた。
段々ホール業務からキッチン業務が増えていった職人の欠員が出たら板場にも立った。
日々できることが増えていき毎日充実してた矢先にコロナ。
また居酒屋に異動になり、ボーナスカットという、寿司屋の仕事のやりがいをなくし、さらに給料も大幅カット。
妻子持ちの俺にはキツかった。
そこで転職活動を開始。
なんとかコロナ前に寿司を握れるよう(手に職をつけた)になったおかげでコロナ禍でも業績が安定してる寿司屋に就職が決定。
ボーナスあり、基本給も上がり一石二鳥!!
ここから寿司職人一筋の人生がスタートすることになる。
俺は現在29歳。2025年今年は30歳。
寿司歴だと22歳の時は寿司業態に異動してから数えると大体7年かな。
まぁとりあえず寿司職人になった経緯について語ったんだけど、こっからは俺の今後の目標について語っていく。
これはもう一つしかない
【生涯現役】
俺は20代で一生付き合っていける寿司職人という仕事に出会った。
60歳で定年?勿体無い。
寿司職人で60歳だと1番脂が乗ってる時期ではないのか?
この仕事をするようになってそう思ってきた。
で、毎日ただ寿司屋の仕事をするのもつまらないのでブログを始めることにした。
日々の成長記録というか日記。
できれば週2〜3回投稿できればいいかな。
暇な時に見て欲しいです。
では、また。